石川直生vs梶原龍児戦について(ダラダラと原稿用紙20枚分)

8月14日、後楽園ホールで開催された『Krush.9』で、石川直生梶原龍児K-1ルール63kg契約で対戦し、判定3-0で敗れた。最終3ラウンドにパンチでダウンを2度、奪われての完敗だった。

決して、つまらない試合ではなかった。“梶原目線”で見れば、会心の勝利だ。1、2ラウンドは蹴りで支配され、最終ラウンドで一気に勝負をかけて逆転勝ち。見事な勝負勘、鮮やかな勝ちっぷりだ。

梶原には、ためこんだ“思い”があった。実績は充分あるのに、彼はK-1 MAX63kgトーナメントに出場することができなかった。自分は何もできない、見守るしかない大会。そこで彼が見たのは、同門であるチームドラゴンの選手たち、自分がホームリングにしてきたKrushの代表選手たちが次々と敗れていく光景だった。決勝に進出したのはNJKFニュージャパンキックボクシング連盟)所属の大和哲也と、元NJKF久保優太。「あれだけ盛り上がった、最高峰のはずの『Krush GP』のメンバーが呑まれて何もできなかったことに憤りを感じた」と梶原は言っている。その“思い”を、彼は石川戦で爆発させたのだ。梶原は自分のストーリーを完遂した。

ただ、石川直生の再起戦として考えた場合、この試合は不満しか残らないものだった。少なくとも僕には。

言うまでもないことだが、石川は7月5日のK-1 MAX63kgトーナメントで才賀紀左衛門に敗れている。この敗北で、石川は何もかも失ったと言っていい。石川は“ユース上がりの若造にET呼ばわりされたあげくダウン取られて負けた恥さらし”でしかなくなったのだ。過去の実績など、K-1という大舞台では慮ってはもらえない。

しかも、彼が敗れた後の63kgトーナメントはこれ以上ないほどに盛り上がった。石川が何年も言い続けてきた「軽量級の扉を開く」という大仕事を、大和と久保にやられてしまったのだ。もう何をしていいか分からない。目標がどこにあるのか見えない。石川は、まさに空っぽの状態だった。

だから、梶原戦で石川に求められたのは“先につながる何か”を見せる、あるいは掴むことだったんじゃないかと思う。紀左衛門に負けた後、石川は周囲の人間から「60kgに戻したほうがいいんじゃないか」、「得意なヒジ、ヒザが使えるキックルールで勝負したほうがいい」と言われたことがあったそうだ。それでも石川は「K-1ルールから、63kgから逃げたくなかった」と梶原戦を決意した。そうである以上、今までとは違う石川を見せる必要があったはずだ。それまでの石川は、紀左衛門に負けてすべてを失った。すべてを否定された。そこから前に進むには、新しい自分を見せるしかない。

たとえば、僕が期待していたのはパンチで打ち合う姿だ。石川はもともとヒジ打ちとヒザ蹴りを得意とする選手で、最大の弱点はパンチの攻防。そういう選手が、“軽量級を世に出す”ために必死でファイトスタイルをK-1にアジャストさせようとしてきた。しかしそれでは、結果が出なかったのだ。63kgに階級規定が変わったことも大きな要因だったが、それだけではなかったと思う。パンチの攻防を“捨てた”状態で、つまり蹴りのみで勝負する石川は、対戦相手にとっては“楽”な存在だったはずだ。敵は大きな武器を一つ持っていないのだから、それだけ精神的にも作戦的にも楽になれる。昨年の『Krush GP』では神がかり的な試合を連発した石川だが、今となっては「結局、神がかりであって実力じゃなかったのか。あれは奇跡、いやまぐれだったのか」ということにもなってしまう。

石川には、そういうところから脱却してほしかった。梶原は元ボクシングの東洋太平洋ランカーで、キック界でも屈指のパンチ巧者。そういう相手とパンチの打ち合いをしてみせたら、それは“K-1ルールでの新しい石川直生”を知らしめることになる。「今の石川にはパンチという武器もある」「梶原と打ち合うくらい、覚悟を決めてK-1で勝負しようとしている」「もうヒジ、ヒザだけの選手じゃない」。そういう姿が見せられれば、石川はK-1での“大恥”から立ち上がり、先に進むことができるだろう。

もちろん、31歳の選手が急にファイトスタイルを変えられるわけはない。まして、梶原はただでさえ強敵だ。パンチで打ち合ったりしたら負ける確率は高くなる。ただ、僕はそれでもいいと思っていた。普通は絶対に思わないことなのだが「負けてもいい」と思っていた。たとえ負けても、石川が新しい自分を見せようとすること、未来へ向かおうとすることが大事だと思っていたのだ。

石川自身、試合前日の記者会見で「明日の試合の内容でこれからの自分の方向性が決まる。勝ち負けを超えた試合がしたい」と語っている。そう言われたら、期待するしかない。

ただ、不安もあった。石川は紀左衛門に負けた後で那須高原に旅行に行ったそうだ。ブログにそう書いてあるんだから間違いない。試合の一週間前には仲間と連れだって花火にも行った。まあ、リフレッシュは大切だ。練習が休みの日に(身体に悪いこと以外は)何をしたって構わない。ただ、そのこととブログに書くことは別だ。「元気になってよかった」とコメントを残すファンもいたが、それはあくまで熱心なファンだ。石川がこれまで向き合おうとしてきた“世間”はそうは思わない。意地の悪い言い方だが「K-1で大恥さらしといて旅行だの花火だの……余裕ですな」ってことだ。いや、もしかしたら関心すら持たれていないかもしれないが。少なくとも、選手がファンを安心させられる場所はブログではなく、リングの上でしかないはずだ。

こういう石川の姿を見ていて、頭に浮かんだのは青木真也のことだ。ストライクフォースに乗り込んでギルバート・メレンデスに敗れた青木は「究極の人間不信になった」という。精神的にとことんまで追い詰められたのだ。しかし、青木はそこから逃げなかった。徹底的に地獄と向き合い、それこそ雑誌の勝敗予想に感じたいら立ちさえパワーに換えて川尻達也を秒殺してみせたのである。だが石川は、地獄と向き合っているようには見えなかった。うまい具合に“ガス抜き”をしているようだった。

試合の2日前、石川はブログにこんなことを書いている。
〈本当に色んな人からメッセージや手紙、言葉をもらって、
本当に大勢の人に会って、
(こんな書き方したら、ちょっとおこがましいかもしれないけど)ボクに愛を持って接してくれる本当に大勢の人たちからもらった色んな“もの”や“こと”。
試合はまだ終わってないけど、この1ヶ月は必ずボクの財産になる「みんなからもらった大切な日々」だったのに、
「地獄のような日々」なんて表現してた自分は大間違いだったよな。〉
だが、本当にそうだろうか。他人がこういうことを言うべきではないのかもしれないが、やはり石川は地獄に落ちたのだ。そして地獄の日々を味わいつくさないことには、復活などありえないのではないか。

大恥さらした立場なのにプライベートを楽しみ、それをファンに報告する石川。記者会見で「勝ち負けを超えた試合をする」と覚悟を語る石川。どちらも嘘ではない。よくも悪くも“丸出し”“丸裸”なのが石川の個性であり、魅力だ。問題は、そのどちらがリングで出るかだった。

赤コーナーから入場する石川は、ガウンを身につけていなかった。定番となっている般若の面も、日本刀も持っていない。それが、石川なりの“出直し”の表現だったのだろう。ただし、髪の毛は染め直していたが。僕が石川の身内だったら坊主にさせてたんだが……それまはあいい。

石川はリングに上がると、口に含んだ水を天井に向けて、続けて梶原に向けて噴射した。WWEのスーパースター・トリプルHを真似たパフォーマンスだ。「ああ、ガウンは着ないけどこれはやるんだ」と思ったが、それもまあいい。肝心なのはそこからだ。石川が水を噴くのを待ち構えたように、梶原も噴いた。石川は残っていた水を噴き返したのだが、この時点で石川はお株を奪われていた。もしかしたら、気持ちも揺さぶられたかもしれない。ニヤリと笑って「おもしれえじゃねえか」とばかりグローブを叩き合わせた石川だが、ここで試合(勝ち負けではなく、物語性を含めた試合全体)を支配する天秤は大きく梶原のほうにふれていたような気がする。

1ラウンド開始のゴングが鳴ると、石川はひたすら蹴った。ミドル、ローを小気味よくヒットさせていく。蹴りが決まることで、梶原はパンチの距離に入ることができない。石川らしい闘いだ。絶好調だったと言ってもいいだろう。ただしそれは“これまでの石川”の姿である。そのやり方を通してきた結果、K-1という大舞台で紀左衛門に負けたはずなのに、石川はこれまでと同じように闘っていた。

いま取材ノートをめくり返してみたら、2ラウンドが終わったところに「このまま判定?」と書いてあった。確かに、このままいけば蹴りでポイントを奪って判定勝ちできるかもしれない。ただ、それで未来へ進むことができるのか。これが「これからの自分が決まる」闘い方なのか。

疑問を抱きながら迎えた3ラウンド、梶原は思いきった踏み込みからパンチで勝負をかけた。石川はそれをまともに食らってしまう。パンチ連打で動きが止まり、レフェリーがスタンディング・カウントを数える。続けざまのラッシュでさらにダウン。いったんはファイティングポーズを取った石川だが、そこで腰が砕けた。おそらく、場内の表示板で残り時間を見たのだろう。そして次の瞬間に、試合終了のゴングが鳴った。

結局、石川はこの試合で何も見せられなかったのだと僕は思っている。ファイトスタイルはまったく変わらず、それでいて勝つこともできなかった。3ラウンドに逆襲のラッシュを食らったということは、つまり勝負根性で梶原に劣っていたということだ。

ノーコメントで会場を後にした石川だが、ブログでは試合についてこう書いている。
〈今は、(悔しい気持ちが、もちろんいっぱいあるけど)7月5日の敗戦の次の日の本当のどん底とは違う、前の見えている自分がいます。
梶原選手との戦い、
楽しかった、熱かった、強かった。〉
〈開き直ったり、強がってるわけじゃなくて、
7月5日からの1ヶ月は、無駄じゃなかった。〉
なるほど、そういう考え方もあるのかもしれない。紀左衛門との試合とは違い、梶原戦での石川は“らしさ”を見せたとも言える。あの蹴り技は、確かに彼の大きな武器なのだ。その“らしさ”を出すことが、前を向くきっかけになる。強い相手と充分に渡り合って、前進はできなかったけど立ち上がることはできた。そういうふうに考えるのも、もちろん“あり”。ただ、僕はそうは思わないということだ。K-1で全否定された“石川らしさ”を取り戻してもらったところで、それが収穫だとは思えない。

この試合は梶原龍児が主役だった。石川直生には何もなかった。僕はそう思っている。

これから、石川はどうするのだろうか。この試合でこれからの方向性が決まるはずだったのに、そこで何も見せられなかった石川は。

皮肉かもしれないが、梶原戦で示されたこれからの石川の方向性は、“K-1ルール63kgはもう限界”ということになる。実際「それでいいんじゃないか」と言う人もいる。「適性がないと分かっているのに、無理にそこで闘う必要はないんじゃないか。それは限られた選手寿命を無駄使いすることになるんじゃないか」確かにその通りだ。それが正論だ。本当に石川のことを考えるなら、そう言うべきなんだろう。

ましてこれからは、K-1によって階級の再編成が起きるかもしれない。今年のK-1甲子園は、65kgリミットで行なわれる。なぜ体重が変わったのか、予想できる理由は二つある。一つは、「今年は70kg級を行なわないため、62kgとの“間を取って”65kgに」というもの。もう一つは「K-1公式階級の導入」だ。

実は、K-1公式ルールに記載されている階級分けは「ミドル級:70kg、ライト級:65kg、フェザー級:60kg」なのである。だから63kg級は「アンダーシックスティースリーキログラム」と呼ばれ、正式には「ライト級」と呼称されていない。63kgが成功を収めた今、K-1は正式な5kg刻みの階級性を実施しようとしているのではないだろうか。

いや、これは単なる予想というか、憶測でしかない。ただ、もしライト級が65kgになれば、出場する選手の顔ぶれも変わってくる。70kgから落としてくる選手がいるかもしれないし、「どうしても63kgには落ちなかった」という選手にもチャンスが出てくる。一方で、「63kgならギリギリ頑張れたけど、さすがに65kgまでは上げられない」という選手もいるはずだ。石川はまさにそれで、60kgが適正階級の選手が65kgで闘うのは無茶でしかない。

となると、今後は石川のような選手たちが“60kg級の作り直し”をすることになるのかもしれない。K-1でトーナメントをやるかどうかは分からない(むしろ可能性は低いだろう)が、とにかく60kgでやり直すのだ。そこに、石川が生きる場所もあるだろう。

あるいは、キックルールに戻るというのも一つの手だ。ヒジあり60kgこそ、石川が最も実力を発揮できる場所。“打倒ムエタイ”も、世間には伝わりにくいかもしれないが大きなロマンであることに変わりはない。K-1の対局へ進むことで、独自の輝き方をすることもできるはずだ。ただし、その場合はK-1ルールのイベントであるKrushでは闘えなくなる。

実は石川は、全日本キック時代の一昨年11月に行なわれた第一回『Krush』にも出場したがっていたそうだ。ヒジ・ヒザありのキックルールにこだわっていた石川が『Krush』参戦を望んだ理由は「全日本キックが大きな勝負に出るんだから、その場所に自分もいたい」というもの。キックルールへのこだわりと同じくらい、石川には全日本キックへの、その系譜を受け継ぐKrushへのこだわりがある。石川が「自分はキックボクサー」と言う時には、必ずもう一言付け加えられている。彼は常に「自分は全日本キックのキックボクサー」と言うのだ。もしかすると“Krush所属”として特例的にタイや他団体で試合をする道もあるかもしれないが、それだとKrushのリングには上がれない。愛してやまないKrushの興行に貢献することはできない。

(このまま続くとして)K-1ルール63kg。再び日の当らない場所から作り直すことになるK-1ルール60kg。Krushという“親元”から離れることになるキックルール。どれを選択しても、石川には厳しい道が待っている。63kgが体格的に厳しいのはもちろん、60kgに戻ってもキックルールに戻っても“紀左衛門に負け、再起戦で何も残せなかった”ことを払拭しなければならないことに変わりはないのだ。

60kg級を63kg(65kg)や70kgを上回るほど輝かせるか。タイでムエタイの王座を獲得するか。それくらいのことをやらなければ、石川は“キザエモンに負けた奴”のままだ。「そこまでK-1での負けが重大なことなのか」と聞かれたら「そうです」と答えるしかない。勝てば大きなものを得られると思ったからこそ、石川はK-1に踏み込んだのだ。そこで負けたのだから、失うものも大きくなくてはいけない。紀左衛門戦と梶原戦の負けを“なかったこと”にするということは、それまでの石川の野望と、だからこその輝きを否定することになるんじゃないかと僕は思う。

なんらかのやり方で、石川はこの連敗を払拭し、未来を掴まなければいけない。Krushの宮田充プロデューサーは、“石川再生”のプランをすでに練っていることだろう。石川がどんな“これから”を選んだとしても、僕はそれを見ていくつもりだ。この連敗を“なかったこと”にされたら徹底的に批判するが、そうはならないだろうという思いはある。「宮田さんのことだから、ただじゃ済まさないだろうな」と。

ただ、何度も繰り返すが、いま現在の石川には何もない。少なくとも、熱心なファンの枠を超えて“届く”存在ではなくなっている。K-1で光ることができなかったどころか惨敗し、再起戦でも負けるというのは、そういうことなのだ。だから、僕はこうして石川vs梶原についてブログに書いている。Krushの大会パンフは別として、今の石川について書くことでギャラをもらうことはできない。他にもっと書かなきゃいけない選手がいっぱいいるのだ。それを差し置いて、仕事として今の石川のことは書けない。Number Webのコラムでなら書かせてもらえたかもしれないけど、それもしたくない。僕は石川に“札を置いた”わけで、その賭けの“負け分”をこのブログで払っているつもりもある。自分勝手なやり方だから、これで払ったことになるのかどうかは分からないが。というより、こういう個人的すぎるくだりを書くこと自体、仕事ではできないことだ。どこまでも勝手な自分の気持ちでしかなくて、それをダラダラ垂れ流しているだけだ。

ダラダラついでに書かせてもらうと、僕はライターであって石川の友だちじゃないから、彼に対して直接、何かを言うことはできない。携帯番号もメールアドレスも知ってるけど、“業務連絡”以外に使うつもりはない。まあ会場なりで会えば立ち話くらいはするが、その程度でしかない。これからどうするかを選ぶのは石川自身だし、そこに原稿以外で影響を与えたくはない。原稿だって石川のために書くんじゃなく、読者のために書くのだ。これはどの選手に対してもそうなのだが、思い入れることはあっても、“応援”なんかは絶対にしない。それはファンや友だちがすればいいことだ。僕は見て、書くことしかできない。

いつかまた、石川直生のことをブログにではなく“仕事として”書くことができるだろうか。